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2006年10月07日

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)


◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノオ命とヤマタノオロチ(4)

 さらに、『記・紀』の中のスサノヲ命(高天原で乱暴狼藉を働いた荒ぶる神)と、『出雲国風土記』の中のスサノヲ命(飯石郡須佐郷を拠点とする呪術的性格を持つ牧歌的な神・おおらか農耕神)の性格は、まったく異なっている。

 すると、元々のスサノヲ命は、『出雲国風土記』にみられる性格の神であり、『記・紀』神話に取り込まれる際に、スサノヲ命の武神的な御子神(出雲地方の鍛剣の業に従事した人たちが奉斎していた神・ツルギ命は、スサノヲ命の御子神・ツルギヒコ命=都留支日子命とされる)たちの性格を加味して、新たなスサノヲ命が形成されたとも考えられるのだが・・・。

 また渡来の神(新羅の蕃神、『日本書紀』一書には新羅のソシモリ=曾尸茂利に降りたとする記述がある)とする説もあり、韓鍛冶部(からかぬちべ)が奉じていた新羅の巫覡神が土着して須佐の神となったのであろうか・・・。まったくの蕃神(渡来の神)ではなく、出雲土着の神と新羅の巫覡神が結び付いたためであろうか(韓土と往来していた紀伊の海人によるものであろうか)・・・。

 また、「スサノヲ」という名前についても古来幾多の解釈がなされてきた。スサついては、『出雲国風土記』の飯石郡須佐郷には、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名を石や木に留めるのではなく、土地の名に留めよ」とあり、スサノヲは須佐の土地の男としている。

 また、スサノヲのスサは荒れすさぶる男という意味を込めているとする国学の本居宣長の説もある(スサという言葉の響きが「すさぶる」を連想させ、高天原で乱暴狼藉を働く出雲系の神とする物語が作られたのかもしれない。そうすることにより、朝廷はオオクニヌシ命をスサノヲ命の子孫として位置付けることができるのである)。

 他には、スサノヲのスサは朝鮮語で巫の意味で、シャーマン(古来より、シャーマンと鍛冶部は関連がありそうだ)を表すススングに由来するとし、ススングがスサヲとなったとしている(渡来した鉄の神)。

 つまり、スサノヲ命は朝鮮半島から渡来した新羅系の蕃神(外来神)であり、飯石郡須佐がスサノヲ命の出雲における本貫地であるとするものである。そこから、スサノヲ命を祖神とする集団の勢力が大原郡・神門郡へ伸び、一部意宇郡や島根郡へと及んだとしている。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ)  at 00:00 │Comments(7)スサノヲ(スサノオ)の日本学

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オークリー【島根県・取扱店】【オークリー・サングラス】at 2007年09月25日 02:59

この記事へのコメント
 私は、出雲国風土記のスサノオ伝承地域を結んだスサノオライン(安来-須佐)というものに強く惹かれます。須佐はスサノオの終焉地であり、朝鮮半島から出雲へ入った行為が記紀に記されており古代の中心的港である安来へ上陸したことがあるのは間違いないのではと思います。
 古代でも、物品が集まるのは港、そう考えるとスサノオの本貫は安来ではないかと思います。古代においても四隅突出墳墓やそれとの連続性をうかがわせる古墳時代前期の大方墳は繁栄の印だと思います。また戦国時代のような新たな地方権力が形成される時期も安来には月山富田城を中心とする尼子氏が勃興します。このように安来地方近辺は、地政学的に地方権力が発生しやすい特徴が陸路/海上交通、農業平野、適した防衛地勢にみられます。要害山という地名が島根には多くありますが、安来をぐるりと取り囲む山々につけられている例が特に目立ちます。わたしは、この要害山がスサノオが詠んだ日本最初の和歌の「八重垣」だったのではと思いたくなるほど符合するのです。
Posted by 今村 at 2007年07月01日 00:09
↓ココってなんか勉強不足の意見もってるね。

http://www.geocities.jp/kinomemocho/hamono_hagane.html

神話の話は記紀、風土記に書いてあって、別に日立金属さん
が自社の宣伝のために書いたわけじゃないのにね。
たしょう「たたら製鉄」の紹介HPや博物館を作ったりしているけど
それは地域貢献レベルで、むしろこんなに各所でこの地の鉄
のことや神のことが語られているのは、それなりの伝承や著
名人の著作などがあるからなのにね。

神話を広めて特殊鋼メーカーが得するとは思えん。むしろ、
観光や鉄道みたいなところが観光客を増やすためなら間尺
に合うだろうが。
Posted by 山畑 at 2008年03月04日 19:00
 そうですよね。古今和歌集の冒頭文が日立金属が宣伝のために書いたってのは非科学的ですね。
Posted by 天津麻羅 at 2008年04月23日 00:46
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な出雲の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
Posted by 星上 at 2008年10月13日 12:40
 「ラストサムライ」の冒頭のシーンで「イザナギ、イザナミの国産み」が出てきたんですが、あれも日立金属さんの影響力だ!といってた頭がおかしいひとですね。
 ところで、安来にある足立美術館がミシュランガイド三つ星に撰ばれたらしいですね。世界一の日本庭園がみとめられた、山陰では唯一の快挙らしいです。京都からは遠いけど、お気に入りの横山大観の「神国日本」もあることだし、ゴールデンウィークにはいってみようかと思います。
Posted by 桑名雅彦 at 2009年04月26日 17:11
大和岩雄氏のころとは違って、出雲の考古学もだいぶ進んできて、関裕二氏なんかは、ヤマトの勃興は出雲の鉄によるなどと言ってますよね。たしかに島根県安来市などに古墳時代を先取りした四隅突出墳丘墓などを作った集団は大和が鉄欠乏症だった時代にふんだんな、鉄器を埋葬していますからね。
Posted by 須賀元 at 2009年09月05日 22:02
 あんな一々地域の風土に目くじら立てて、ないことないことを書くのは大同特殊鋼系の会社でしょ。
Posted by 熊野 at 2014年09月20日 21:18
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