2006年08月01日
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(一)
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(一)
◆◇◆「お盆」「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「ullambana(ウラバンナ)」
なぜか、お盆は私達日本人には、何か特別こころに響くものがある。夏の行事というと真っ先に頭に浮かぶのがこの「お盆」という言葉であるぐらい、夏の風物詩となっており、私達の生活になじんでいる(※注1)。
お盆は一般に「仏様を敬う」あるいは「ご先祖さまを尊ぶ」というように、ご先祖や亡き人の霊を迎えて、家族揃って丁寧にもてなし、ご先祖に感謝したり、父母の長寿を願ったりする行事である。
このように、我々日本人の生活習慣の一部、お正月のような年中行事の一つともなっているほどであり、夏の重要な行事だ。
お盆と正月は、日本の二大国民的行事である。お盆とりわけ八月の月遅れの盆の頃は、故郷で、お盆を迎える人たちの帰省ラッシュが全国で起こる。民族の大移動というべき光景が、日本各地で繰り広げられる。
お盆というのは、昔から日本人の生活のなかに、しっかりと根ざしている、夏の季節の大切な節目となった。しかし、レジャー化しつつある最近の傾向は、日本の文化がだんだん薄れていくようで少々残念ではあるが・・・。
「お盆」の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(※注2)である。盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ullambana(ウラバンナ)」を音訳したものである。「(先祖や関係者が地獄や餓鬼道に落ちて)逆さづりにされ(苦しんでいる)」という意味で、そのために供養を営むのが盂蘭盆会とされている。
もっとも、この行事自体は、輪廻転生(たとえ身内であっても、転生したら別人格の他者になる)を説くインド的考え方ではなくて、先祖を祀ることを重視する中国(儒教)的な発想である。あるいは、もっと踏み込んで、日本の固有の信仰・風習の祖霊崇拝であるといってもよいかもしれない(※注3)。仏典に『盂蘭盆経』というのがあるが、これなど、後代に中国で創作されたものとされている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)我国では推古天皇十四年(六〇六年)七月十五日に斎会を設けたのが始まりとされているが、本格的には斉明天皇三年(六五七年)七月十五日に、飛鳥寺(元興寺)の西に須弥山の像を作り、盂蘭盆会を催したのが初めてではないかと考えられている。
聖武天皇天平五年(七三三年)からは、盂蘭盆会の供物を大膳職の管掌と定められ、以降、平安時代には盛んに行われた。私達日本人は実に約千四百年もの間、お盆(盂蘭盆会)の行事を行ってきたのであるが、民間(一般庶民)で行われる様になったのは、江戸時代以降とされている。
(※注2)盂蘭盆(うらぼん)とは、梵語の「ウラバンナ」の音写だが、意味は「アバランバナ」つまり倒懸(とうけん・さかさ吊り)で、通常は単に盆といわれている。この盂蘭盆会にその由来を説いた「仏説盂蘭盆経」の教えにより、後には先祖供養の行事となるが、倒懸の苦を受ける死者のために祭りを行い、三宝に供養して、その苦を免れしめる行事である。
この行事はインドの古い農耕儀礼としての「ピンダの祭」、すなわち死者祭祀・祖霊祭祀と仏教の夏安居の終了に際する僧院の自恣供養会との習合したもので、それが中国に伝来されるに至って、生者(父母・六種の親属)の供養にまで拡大されるようになった。
(※注3)我が国で行われている盆行事は、中国から伝来した行事と、我国固有信仰とが習合したものであることは明らかであり、「ぼんがま」といって屋外にカマドを築き、そこで煮たきして会食する習俗が、今なお残っていることから考えても、祖霊を迎えて共食をするという古い信仰形式がこの習俗の基盤をなしており、それはまた、正月行事と非常な類似をみせているものである。
スサノヲ(スサノオ)
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