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2006年09月27日

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(四)

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(四)


◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(四)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐太大神と加賀の潜戸(2)

 加賀の潜戸を貫いた金の弓箭(黄金の矢)とは、的島の東から射しこむ太陽の光線(黄金の矢を持つ太陽神)を比喩したものとされている(※注1)。そこから、黄金の矢を持つ太陽神が、暗い洞穴(※注2)に矢を放つとは、太陽神とそれを祀る巫女の交合の儀式と考えられている(※注3)。このような加賀の潜戸という自然の造形が、壮大な説話を生み出したのだ(本来は闇見の国の神話か?)。

 さらに古代には、佐太川を境に、西を狭田の国、東を闇見(くらみ)の国と別個の小国家が成立していたようだ(国引き神話にも登場する)。ところが、この二つの国は程なく佐太大神の信仰によって繋がることになる。それは、もともと闇見の国を代表する祖神の社(久良弥社=くらやみのやしろ)があったのだが、狭田の国(佐太大神)の勢力に飲み込まれた(闇見の国の神話が狭田の国の神話に飲み込まれた)結果なのかもしれない。

 すると、加賀の潜戸の説話で、「佐太大神」としているのは、実は、「佐太御子神」の誤伝で、もともと麻須羅神こそ「佐太大神」(※注4)であったのかもしれない。即ちこの説話は、古くは狭田の国の「佐太大神」が矢になって、闇見の国のキサカヒメ命(枳佐加比売命・支佐加比売命、神魂命の御子)のもとに通い、その結果として「佐太御子神」の誕生を見たとする説話であったと思われる。結果、二つの国は程なく佐太大神の信仰によって繋がることになるのだ(狭田の国が闇見の国へ勢力を伸張したことの反映)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)新潜戸から見た的島の方向は夏至の日の出の方向にあたり、反対に的島から見た新潜戸は冬至の日没の方向にあたる。夏至の朝日が生、冬至の夕日が死を象徴するものと考えられていたようだ。この説話には、神婚説話や日光感精説話が見て取れる。

(※注2)洞窟(大穴)で生まれたということで、この佐太大神とは実はオホナムヂ命(大穴牟遅命・大穴持命)のことではないかとする説もある。しかし、オホナムヂ命(所造天下大神大穴持命)を奉ずる勢力による出雲統一の以前に、この地には佐太大神の勢力圏であったようだ。神々の通い婚の説話は、オホナムヂ命に代表されるが、加賀の潜戸の説話のように佐太大神の通い婚の説話があっただ。

(※注3)元来、出雲国の佐太大神の原質は太陽神(天照神)であったのであろうか。太古より、わが国の太陽信仰は広く行われており、各地に所在する天照神(プレ・天照大神)もそうであり、大和の三輪山の山頂にも太陽神を祀る社があり、『日本書紀』(応神記)のアメノヒボコ(天之日矛・天日槍、新羅の王子)も太陽神とされている。

(※注4)佐太大神は狭田の国の祖神である。『出雲国風土記』には、この狭田の国の東部にあった秋鹿郡の神名火山の条に「所謂佐太大神の社は即ち彼の山の下也」とある。現在の佐太神社の位置からすると、きわめて不自然だ。神名火山(現在の朝日山)の下にあったのが「佐太大神の社」(神名火山の山容を仰ぎ見る地から、銅剣と銅鐸が同時に出土)で、現在の佐太神社は本来「佐太御子神の社」(神名火山の山容を仰ぐことさえできない所に鎮座)と考えたほうが辻褄が合いそうである(すんなりと解釈できる)。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ)  at 11:31 │Comments(1)スサノヲ(スサノオ)の日本学

この記事へのコメント
籔田紘一郎著「ヤマト王権の誕生」では吉備や大和は出雲勢力の拡大経路であったと考えています。そうすることで弥生時代後進的だった大和の勃興を説明しています。安来や西谷の大型墳丘墓は正にそれに絡んでおり、きっと佐太神社にもその流れの言い伝えが神在月の意味なのかもしれません。
Posted by 叢雲 at 2007年11月25日 22:34
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