京つう

歴史・文化・祭り  |京都府北部

新規登録ログインヘルプ



2006年09月13日

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(五)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(五)


◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(五)

◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、古代の月と祭り

 古代(太古の昔より)、人々にとって、祭りは互いの連帯を強め、地域や集落の結束を固める上で、とても重要な行事であったと想像でる。なかでも、先祖を祀る祭りと自然の恵みに感謝する祭りは、地域や集落の一大イベントであったのであろう。共通の先祖を確認することによって、互いの同胞意識(連帯感)を高めたに違いない。そして秋の収穫が終わると、祭りはピークを迎えるのだ。

 酒(果実酒)が振る舞われると、人々は夜通し歌い踊り、そして恵みをもたらした自然の神々に感謝するのである。そしてその次の年もよき年であるよう、豊饒を祈願する「神祭り」を行った。その際、空には大きな満月が煌々と光り輝いていたはずである(※注1)。それは古代(太古の昔より)において、毎月の満月が特別な節目(祭り、ハレ)であったのだ。当時の月は今よりも空気が澄んでいる分大きく、くっきりと鮮やかに、自分たちを包み込むように見えたのであろう。

 少しずつ欠けていく月(※注2)は、厳しい冬の到来がそこまで来ていることを知らせてくれた。だからこそ、秋の満月の夜には不安をかき消すかのように、人々は酒を飲み、夜通し歌い踊りあかしたのであろう。その名残が、「芋名月」や「豆名月(栗名月)」として受け継がれてきているのである(月祭り、満月信仰、観月民俗)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)古代(太古の昔より)、月が全く出ない夜というのは、恐ろしい物の怪(鬼や魔物)の住む闇の世界であった。闇夜は、古代人にとって何よりも怖いものであったのである。そうしたとき、人々は一所に集まり、一晩中騒ぎまわって闇の恐ろしさを紛らわしたのであろう。それだけに明るい月が上って、煌々と住居の中まで照らしてくれる夜は、どんなにか人々の不安をかき消し、心を安らげたことであろうか。

(※注2)月は規則的に満ち欠けし、その周期的な運動は何かの霊威を、人間や大地に確実に照射しているかのように感じ取れる(感じ取られていたのであろう)。古代、月の満ち欠けは、月の「死と再生~満月~死と再生」という、死と再生をくり返す姿と捉えられていたのだ。そして、その月の霊威の最盛期が満月の夜であったのである。古代の人々は、満月の夜、世界と人間のすべては月の最大の生エネルギーを浴びると考えた。これが本来の月見だったのである。(月祭り、満月信仰、観月民俗)。


スサノヲ(スサノオ)


同じカテゴリー(スサノヲ(スサノオ)の日本学)の記事画像
●和歌の朗読と演奏で楽しむ神々の世界
アマテラスの岩戸籠もり 第3回 語りかぐら in 京都・町家カフェ「月の花」
【出雲学】島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(三)
【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)
【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(二)
【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(一)
同じカテゴリー(スサノヲ(スサノオ)の日本学)の記事
 ●和歌の朗読と演奏で楽しむ神々の世界 (2015-04-30 03:25)
 アマテラスの岩戸籠もり 第3回 語りかぐら in 京都・町家カフェ「月の花」 (2014-06-03 19:41)
 【出雲学】島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(三) (2013-09-09 14:45)
 【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三) (2013-08-30 11:33)
 【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(二) (2013-08-15 08:46)
 【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(一) (2013-08-12 22:17)

Posted by スサノヲ(スサノオ)  at 00:00 │Comments(1)スサノヲ(スサノオ)の日本学

この記事へのコメント
 それには根の国と黄泉の国を峻別する才能が必要になりますな。
Posted by ルーツ鋼MAGIC at 2011年07月16日 19:49
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。