◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)
◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)
◆◇◆神在月と神在祭、旧暦十月出雲に神々が集う
旧暦十月の和名は「神無月(かんなづき)」(「神去月(かみさりづき)」)(※注1)という。日本のここかしこに居られる八百万の神々が、年に一度、出雲に集まるため、「神さまがいなくなる月=神無月」(※注2)と名付けられたそうだ。日本全国が神無月でも、出雲では「神在月」となるのである(神在月の期間には毎年決まって激しい北西の季節風が吹き、海では波が荒れ、島根半島の海岸部に錦紋小蛇=南方産のセグロウミヘビの一種が現れる)。
出雲に集まった神々は、人には計り知ることのできない諸般の事ごとをお決めになるのである(神議り=かむはかり)。翌年の酒造りや男女の縁結びも、このとき決まるといわれる(神々は出雲に参集して会議を行うほか、舟遊びをしたり、漁労や収穫の検分をしたりと、さまざまな伝承が残されている)(※注3)。
出雲大社では旧暦十月十日の夜、全国から八百万の神々が集まるのをお迎えするため「神迎神事」(竜蛇神迎えの神事)が厳かに営まれる(出雲大社では二〇〇六年十一月三十日の午後七時から大社町杵築北の稲佐の浜で営まれる。この神事を営まないと、神在祭は始まらないのだ)。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)旧暦十月は、神無月(かんなづき)と呼ばれる。全国の神々が出雲の国に集まって、地域の神々が留守になるので「神無し月」と呼ばれるのが一般的である。神無月の由来については、その他さまざまな説がある。まず、一つ目は、陰陽説からくるものである。陰陽説で神は陽であり、十月は陽の気がない極陰の月とされる。つまり「陽(かみ)無月」が「神無月(かんなづき)」に転化したという説だ。
また、陰神とられるイザナミ尊が、出雲で崩御したのは十月なので、「(母)神の無い月」という考え方もある。二つ目は、神無月は「神嘗(かんなめ)月」が転化したという説である。神嘗は新穀を神に捧げることである。十月はこの神嘗のための月という解釈だ。また、十月は翌月の新嘗の設けに、新酒を醸す月、つまり「醸成(かみなん)月」の意から来ている月名で、「神無月」は当字だとしている説もある。
(※注2)また、神無月(かんなづき)の旧暦十月は全般に行事や神事が少ないため、旧暦十一月に行われる稲の収穫祭「霜月祭」のための、物忌みの期間なのではないかという説がある。また稲作の神さま(田の神さま)が、秋になると山に帰って山の神さまになるという信仰から行われる「神送り」がありますが(地域によって神送りの日程が異なるのは、収穫時期の相違が反映していると考えられる)、この「神送り」で、本来は山に帰るはずの神さまが、出雲信仰と結びつき出雲に行くことになったとする説もある。
(※注3)一体、神々は出雲の地に集って一体何を話されるのであろうか? 「神事(幽業、かみごと)、すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ人生諸般の事ごもを神議り(かむはかり)にかけて決められる」と信じられている。要するに、むこう一年間の人々の全ての縁について決める、というのだ。ですから、一般的に言われている「縁結びの神様」は、別に男女の縁だけを言ったものではないのである。しかし、神々来臨の目的は各社各様だ。
スサノヲ(スサノオ)
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