【出雲学】神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)

スサノヲ(スサノオ)

2013年08月30日 11:33



◆◇◆神在月と神在祭、旧暦十月出雲に神々が集う

 旧暦十月の和名は「神無月(かんなづき)」(「神去月(かみさりづき)」)(※注1)といいます。日本のここかしこに居られる八百万の神々が、年に一度、出雲に集まるため、「神さまがいなくなる月=神無月」(※注2)と名付けられたそうです。日本全国が神無月でも、出雲では「神在月」となるのです(神在月の期間には毎年決まって激しい北西の季節風が吹き、海では波が荒れ、島根半島の海岸部に錦紋小蛇=南方産のセグロウミヘビの一種が現れます)。出雲に集まった神々は、人には計り知ることのできない諸般の事ごとをお決めになるのです(神議り=かむはかり)。翌年の酒造りや男女の縁結びも、このとき決まるといわれます(神々は出雲に参集して会議を行うほか、舟遊びをしたり、漁労や収穫の検分をしたりと、さまざまな伝承が残されています)(※注3)。出雲大社では旧暦十月十日の夜、全国から八百万の神々が集まるのをお迎えするため「神迎神事」(竜蛇神迎えの神事)が厳かに営まれます。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)旧暦十月は、神無月(かんなづき)と呼ばれます。全国の神々が出雲の国に集まって、地域の神々が留守になるので「神無し月」と呼ばれするのが一般的です。神無月の由来については、その他さまざまな説があります。まず、一つ目は、陰陽説からくるものです。陰陽説で神は陽であり、十月は陽の気がない極陰の月とされます。つまり「陽(かみ)無月」が「神無月(かんなづき)」に転化したという説です。また、陰神とられるイザナミ尊が、出雲で崩御したのは十月なので、「(母)神の無い月」という考え方もあります。二つ目は、神無月は「神嘗(かんなめ)月」が転化したという説です。神嘗は新穀を神に捧げることです。十月はこの神嘗のための月という解釈です。また、十月は翌月の新嘗の設けに、新酒を醸す月、つまり「醸成(かみなん)月」の意から来ている月名で、「神無月」は当字だとしている説もあります。

(※注2)また、神無月(かんなづき)の旧暦十月は全般に行事や神事が少ないため、旧暦十一月に行われる稲の収穫祭「霜月祭」のための、物忌みの期間なのではないかという説があります。また稲作の神さま(田の神さま)が、秋になると山に帰って山の神さまになるという信仰から行われる「神送り」がありますが(地域によって神送りの日程が異なるのは、収穫時期の相違が反映していると考えられます)、この「神送り」で、本来は山に帰るはずの神さまが、出雲信仰と結びつき出雲に行くことになったとする説もあります。

(※注3)一体、神々は出雲の地に集って一体何を話されるのでしょうか? 「神事(幽業、かみごと)、すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ人生諸般の事ごもを神議り(かむはかり)にかけて決められる」と信じられています。要するに、むこう一年間の人々の全ての縁について決める、というのです。ですから、一般的に言われている「縁結びの神様」は、別に男女の縁だけを言ったものではないのです。しかし、神々来臨の目的は各社各様です。


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「八雲立つ出雲の国」には、空と陸と海とが互いに映えあう見事な風土が今もあります。
この風土を背景に、多彩な出雲の神々が誕生し縦横無尽に活動したのです。
出雲の風土の中にいると、神話や伝承の世界が、
そこここに生き続けているような不思議なリアリティを感じてしまいます。

◆Webサイト「出雲神話・古代出雲に出会う旅」
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